俺の背中に火をつけろ

ドラマや映画、演劇、音楽、本、マンガなどまあいろいろ。こんなタイトルですが女です。

『ふたがしら』2が楽しみだ

ツイッターを見てて、思わず「ひゃっほう!」と声を挙げそうになった。



いや『ふたがしら』続編決定というのは知ってましたが。

個人的にファンの春日太一氏が出演だなんて、こりゃ放送がますます楽しみだ。

 

秀作が多いWOWOWの連続ドラマWシリーズだけど、昨年一番夢中になって観たのはこの『ふたがしら』だったかもしれない。

原作はオノ・ナツメ(『リストランテ・パラディーゾ』や『GENTE』は読んでるけどドラマ放映時は未読)、脚本は劇団☆新感線中島かずき、監督は入江悠。

中島かずき作品の最大の魅力である“ケレン味”は、一歩間違うとただ安っぽくなったり今のテレビでは浮いてしまう可能性がある。だからこそそれを逆手に取って振り切った『キルラキル』は成功したのだと思うけど、今作に関しては入江悠監督の独特の「ちょっとだけオフビートな感じ」というのが上手くクールに作用していたように思う。

 

何より、キャスティングが最高だった。本能のままに動く弁蔵を演じる松山ケンイチはもうワンコ。ひたすらワンコ。これ、その前年に出演していた劇団☆新感線『蒼の乱』の役どころともかなり似通っているので、中島作品への連投がすごくいい方向に作用したと思われる。

そして、クールな色男・宗次を演じた早乙女太一。いわゆる「普通の芝居」に関してはまだまだ上手とは言えないけれど、それでも圧倒的な存在感と、身のこなしは同世代の俳優には確実に無理なわけで。特に着物姿での殺陣と所作! 例えば呼ばれたりしてそちらの方向へ行くために身体を動かす、その瞬間にちょっと肩口を羽織り直すような仕草とか、何気なく行っている動作が「普段から着物を着て生活しているリアリティ」満々で。これは早乙女太一というある意味今の芸能界において「異形」の育ちをした彼だからこそできることなんだよなあ。

 

先代の頭目を演じた國村隼も、ファム・ファタル的悪女を演じた菜々緒も、どこか切ない悪党・甚左の成宮寛貴も、みんながみんな画面の中で輝いている。1話ごとに必ずカラッと落ちがつくスッキリした終わり方も(かといって予定調和でもなく)、時代劇の世界観と見事にマッチ。時代劇を観てあんなにワクワクしたのは久々だった。

というわけで早く来い来い放送日。

(……余談だけど前回の新感線公演『乱鶯』が若干不満だったのだが、「不殺」を信条とする盗賊、という設定でこの『ふたがしら』をすぐ思い出してしまったのが個人的な敗因と思われる……いやタイミングが悪かったんじゃないかなあ……)

連続ドラマW ふたがしら DVD BOX
 

遅ればせながらこの間原作読んでみたら、菜々緒のビジュアル再現度にびっくりした。いやマンガの中でも最もビジュアル再現難しいクラスの絵だと思うんですけどねオノ・ナツメって。菜々緒すげえ。

 

ふたがしら(1) (IKKI COMIX)

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indigo la endの新曲がゲスい

芸能ニュースでindigo la endの新曲が云々かんぬん、というのを見かけまして。
indigo la endといえばアレですね、今や(色んな意味で)一躍有名人となってしまった「ゲスの極み乙女」のVo.川谷絵音氏がやっている別バンドなわけですが。なんか歌詞が例の彼女のことじゃない? とかそれこそゲスな憶測とかされてますね。


indigo la End - 藍色好きさ

 

タイトルは『藍色好きさ』。藍色=indigoなわけで、タイトルからしてもいろいろと意味深です。

例の騒動の時、「男が悪い」「いや女が…」といろいろな意見が山のように飛び交ったわけですが。で、こちらとしては「ゲス〜」は「凄いなあ人気も勢いもあるなあ」という認識だったもので(周囲に熱狂的ファンが多数)、野次馬根性でチェックしてたわけですよ。で、途中であることに気づいたものの、ほとんどこの意見がスルーされてたのでこのタイミングでアレですが書いておくことにします。

ワイドショーや週刊誌を鵜呑みにするなら、ですが。
通常の感覚を持っていれば「長年の彼女と入籍したばかりの“新婚”で」「不倫相手とラブラブ2ショットを撮るような証拠を残し」「あまつさえ不倫相手を正月に実家に連れて行く」というのはまず考えられないわけです。しかも相手はレギュラーを数多抱えた人気タレント。そりゃ炎上もするでしょう。
ただ、疑問なのは「なんでそんなことをやっちゃったか」なんですよ。でもそこは本人たちから当時何の釈明もない。というかあったところで大半の市位の人には理解不能なわけです。だから2chのスレもものすごい勢いで伸びるわと。

でもね。これがindigo la endのPV観ると全て氷解するわけです。
まず、2015年9月に発売されたシングル『雫に恋して』のPV。これが第一のヒント。


indigo la End - 雫に恋して



このPV、ストーリー仕立てになってます。
観てもらうのが一番早いんですが、簡単に説明すると(あくまでも個人的な解釈ですが)

たまたま入ったライブハウスで、演奏するバンドのVo.に一目惚れしてしまう美少女。彼に近づきたい一心でライブハウスのスタッフになったり、バンドのお手伝いをしたり頑張る日々。そして念願かなって彼との距離が縮まり、交際へとこぎつけるわけですが、彼のバンドはどんどん人気となり、ファンの女の子も増え、レコード会社の人らしき姿も。そして自分との距離をいつしか感じた彼女は、「私なんかと付き合ってる場合じゃないのかな、って」という言葉を残し、彼の元を泣く泣く去る。

というストーリーです。
これ、重要なのは「川谷氏本人が自ら主演している」ってとこです。
(余談ですが、まとめサイトなどでこのPVに出てる小島藤子ちゃんが「嫁」として画像拡散されていてとばっちりもいいところだなと思いました)

……続いて、1ヶ月後に公開された『忘れて花束』のPV。前述の『雫〜』とは両A面扱い。PVも『雫〜』の続きのストーリーとなっていて、なかなか洒落た仕掛けではあります。


indigo la End - 忘れて花束



もちろん今回も本人主演

別れて2年ほど経ったある日、美少女に連絡し「1日だけデートしてくれない? ちゃんと別れるために」というセリフを放ち再会。まるで恋人同士の時間が巻き戻ったかのようにラブラブデートを繰り広げ彼女の手を繋ぎたいけれども一人その手をにぎることをためらい(未練がある素振り満々)終始この調子で1日が過ぎる。そして別れ間際、「またね」と言うも彼女に「“また”はないけどね」とケンもホロロに言われ、肩を落として去る。

しかし彼が去った後、美少女はひっそりと涙を流す。実は彼女も彼のことが忘れられなくて……
(おわり)

大事なことなので再度繰り返します。「本人主演」です。
もちろん作詞作曲もご本人です。

どうですか?
ちなみに私の周囲の女子たちに、これがindigo〜の曲だということを伏せて「こういう内容のPVを作詞作曲した本人主演でやっちゃうソングライターどう思う?」と聞いてみたところ、もれなく返ってきた答えは
「キモッ」
でした。ええそうでしょうよ。100歩譲って彼個人の大ファンなら登場人物に自分を重ねてうっとりとかするのかもしれません。でも自分の元カレが『忘れて〜』のようなことを妄想してたら、別れ方がどうだったとしてもマッハで冷める自信があります。だってどこまで自分に都合がい(ry

もう一つ。週刊誌の話を信じるならば、ですが。川谷氏の元奥様はもともとバンドスタッフだったそうです。そして7月ごろ入籍。しかし入籍した手にもかかわらず夏頃元カノと再会したことで火が付き、しかし結婚したことが元カノに言えず「どうしよう、彼女がオレのことまだ好きだって」と奥様に電話して泣いたと…これが本当なら相当アレな人ですが、これらPVを見ると全て納得が行きます。「そういう人」なんですよ、おそらく。というかヘタしたら自分たちの実話(ry

ちなみに個人的な経験から言いますと、バンドマン(特にインディーズバンド界隈)には石を投げればこの手の男に当たります。その下半身のせいで自分の人生やチャンス棒に振るんだよわかってる? と周りの人間が全身全霊で諌めるも、なぜか自ら鉄火場に飛び込むような行動を取るのがその手の人間の特徴です。なんでしょう、ロックだと思ってるんでしょうか。そして意外とその手の男ってのうのうとそのまま生き延びます(遠い目)。

というわけで、そのメンタリティから想像するとindigo〜の新曲は確実に自身の経験や感情の吐露になってるだろうし、何なら例の彼女の“次の恋愛”のことを歌ってる、くらいの勢いなんじゃないかな、と思うわけなのです。まともに同情するだけ損なんじゃないかなあ。

『重版出来』に見る、人生の「コンテンツ化」

※少し修正しました

ドラマ『重版出来』の評判がいい。

自分は原作は未読。ドラマもいろんな事情があってどうも正面から観るのが怖く、2〜3話あたりで周囲から聞こえてくるあまりの好評ぶりに、さすがにチェックしとくか…と観だした次第。

 

今週放送された7話は、一言で言えば「持つ者と持たざる者の物語」。絵は下手だが才能がある新人(アスペ気味)と、新人賞は獲ったものの連載を持てないまま20年経とうとしているアシスタントと。ここにいわゆる「消えた漫画家」と、その家族の物語が絡んでくる。

新人とアシの話は単なる両者の比較だけでなく、前者と後者が互いの救済となったとも解釈できるような作りになっていた。非常によく練られた、愛情あふれる脚本。昨今のドラマでは出色だと思う。

 

でもやはり、どこか苦く感じてしまうのだ。それはきっと自分の知人に実際の漫画家が数人いて、彼らのアシスタントもよく知っているからだろう。
まずあのドラマを観た人に誤解してほしくないのは、全ての漫画家アシスタントが「デビュー出来なかった人」ではない、ということ。いわゆる「プロアシ」と言われる人たちもたくさんいる。もしかしたら原作ではそのあたりも言及されているのかもしれないが。
ただ、新人アシに関して言うと、ほとんどがデビューを目指しているのではないだろうか。そしてアシ上がりでデビューするにはある程度の生活の安定と引き換えに「自身の作品を描く」ことに非常に気力を要することが多いようだ。アシ歴が長ければ長いほどデビューする率が少ない、デビューする人はさっさとアシを卒業していく…そんな話もよく聞く。だからムロツヨシ演じる“夢を諦めて田舎に帰る20年選手のアシ”は、現実問題すごくリアルな存在で。

ツイッターには「今回泣いた」という声が並ぶ。でも自分は泣けなかった。なぜならあの原作マンガが、話題になり、たくさん売れ、そしてドラマ化へとこぎつけた、いわば存在として「勝ち組」だからだ(今のところは)。作者の方の才能も、もちろん努力もあるのだろう。でもそんな「勝ち組」のコンテンツとして、「持たざる者、敗者」の人生が描かれる。否、物語として“消費”される。それは「いやー残酷だけれども、世の中ってそういうものだよね。他人事として観る分には面白いねえ」で済まされるものなのだろうか。

物語が“リアル”であればあるほど、“消費される側”のことがどうしても気になってしまうのは私だけだろうか。あのドラマをエンターテイメントとして楽しむ多数の視聴者の裏側で、「こんなこともあったね」で済ませることが出来ず、砂を噛むような思いをしている(そして実在している)“彼ら”が気になって仕方ないのだ。


そこにそこはかとなく、「“上から目線”の傲慢さ」を感じてしまうのは、自分が卑屈なのだろうか。そんなことを考えてしまうから、私は“泣けない”のだろう。

ブログ始めてみました

ツイッターは短文だし、かといってFBで長文を吐き出すと「こいつこんなこと考えてんの面倒くさっ」と思われそうで投稿を躊躇する文章がちょこちょこと浮かんでは消えるので、そういったものを吐き出します。

よろしくお願いします。